お問い合わせは、itfujii_yahoo.co.jp アンダーバーを@に変更して

Enjoy Simple English 25/7/9(水)Saving 669 Children 669人の子どもを救った英雄


Enjoy Simple English 25/7/9(水)Saving 669 Children 669人の子どもを救った英雄
今日は Saving 669 children 第2次世界大戦直前のチェコスロバキア。 1人のイギリス人男性による子供達の救出劇に迫ります。
impossible ɪmˈpɑːsəbl 不可能な
kind kaɪnd 親切な
saved seɪvd 救った
lives laɪvz 命(lifeの複数形)
terrible ˈterəbl ひどい、悲惨な
refugees ˌrefjuˈdʒiːz 難民たち
rescue ˈreskjuː 救出する
volunteers ˌvɑːlənˈtɪrz ボランティアたち
officials əˈfɪʃlz 役人、公務員
give up ɡɪv ʌp あきらめる
raise money reɪz ˈmʌni 資金を集める
scheduled ˈskedʒuːld 予定されていた
heartbroken ˈhɑːrtˌbroʊkən 悲嘆にくれた
guest ɡest ゲスト、招待客
wiped away waɪpt əˈweɪ ぬぐい去った
seemed siːmd 〜のように見えた
stood up stʊd ʌp 立ち上がった

「何かが不可能でないなら、それを行う方法があるはずだ。」
これは、第二次世界大戦が始まる直前に何百人もの命を救った親切な男性の言葉です。
彼は何をしたのでしょうか?この素晴らしい話を聞いてみましょう。
1938年12月、ニコラス・ウィントン(ニッキーとしても知られる)というイギリス人の実業家がチェコスロバキアのプラハにいました。
彼は、多くの人々が悲惨な状況にあることを聞いて、助けたいと思ったのです。3か月前に、ナチス・ドイツの兵士たちがチェコスロバキアに侵入してきて、多くの人々、特にユダヤ人が恐れて家を離れ、プラハに難民として避難しました。
ニッキーは難民キャンプを訪れ、人々が寒く湿ったテントで、ほとんど食べ物も暖房もなく暮らしているのを目の当たりにしました。
「何もしなければ、ナチスが全員を連れ去ってしまうかもしれない」と思ったニッキーは、子どもたちを救うことは可能かもしれないと考えました。
彼は約1か月間プラハに滞在し、子どもたちを救出するために必要なリストを、ボランティアのグループと一緒に作成しました。
イギリスに戻った後、ニッキーは政府関係者に自分の計画を伝えましたが、最初は断られました。
しかし、彼はあきらめませんでした。ついに、「子どもたちに滞在先があり、将来プラハに戻るための資金があるなら受け入れ可能」と言われました。
ニッキーは資金集めを行い、子どもたちの里親を探しました。これは大変な作業でした。なぜなら、多くの家庭には余裕がなかったからです。
そして1939年3月、数か月にわたる努力の末、最初の子どもたちのグループが無事イギリスに到着しました。8月末までに、合計669人の子どもたちが安全にイギリスに渡ることができました。
9月1日には次のグループが出発する予定でしたが、残念ながら第二次世界大戦の勃発により不可能になりました。
このことがニッキーの心を深く傷つけ、それ以降、彼は二度とこの話をすることができませんでした。
それから約50年後の1988年、ニッキーの妻が1939年のノートを発見しました。そこにはニッキーが救った子どもたちの名前と写真が記録されていました。
その話を聞いたBBCがニッキーを番組に招待しました。彼は当時すでに80歳近くになっていました。
番組には、彼が救った子どもたちも招かれていましたが、ニッキーはそれを知りませんでした。
番組の途中で、司会者が「ニコラス・ウィントンに命を救われた方は立ち上がってください」と言いました。
すると、彼の周りに座っていた人々全員が立ち上がりました。
ニッキーは笑顔を見せながら、涙をぬぐいました。
そして、彼の物語が広く知られることになったのです。
ニッキーは2015年に106歳で亡くなりました。
彼は、不可能に思えることに挑戦し、多くの人々の人生を変えました。

PAGE TOP